いまや、印刷といえば、DTPというくらいパソコンが普及した印刷の世界で すが、ついこの間まで活字を拾って、版を作るという活版印刷が一般的だっ たという。メディアテークでは活字から、活版機にいたるこの印刷の行程を すべて体験できる工房を地下に設けている。これらの備品はすべて宮城県内 でついこの間まで、現役として働いていたものが寄贈されたものなのだそう だ。今回は活版印刷で暑中見舞いを印刷するというワークショップに参加し た。
さて、話が少々それたが、文選を行ったあとはレイアウトする事となる。 この行程を「植字」という。これは活字をレイアウトするのに亜鉛や木製の 一種のスペーサーの様なもので埋めて行う。これはどちらかといえば、現場 主義。その場で組んでいって現物あわせ。これをスムースにやってのけるの はまさに、長年のかん以外なにも通用しない感じでした。手伝っていただい た指導員の方はまさにその「かん」をもっていらっしゃって、手際よくささ っと、隙間を埋めていく様を観ているとつくづくそう思いました。PHOTO SH OPの様にコピー、ペーストで、即座にできる様ないままで、パソコン上で行 っていたことをいざやろうとすると、経験なくして出来ない、蓄積としての 技術、こういったことはDTPでは全くなくなってしまった。どちらが効率的 かなんて言うのは言うまでもないが、「入社、即、校正係」なんて、冗談み たいなことが冗談ではない今日では、
と、つくづく思うのである。私の職もまた、映像編集という、技術を売る職 業なのだが、フィルムから、ビデオへと変遷する中を経験を積んでこられた 先輩方がさらにディジタルやらノンリニアやら、と、めまぐるしく変遷する 今日も、また、それに対応していくのをみると、決して、作業効率として、 その経験が役立つか、どうかは別にして、視野の広さという点では侮りがた い、というより、私自身としてはうらやましいとも思うのだ。当然、私も、 それに対応すべくやっているのだが、表現の幅が広がるということに対して は大賛成なのだが、かつてあった、よいものはどのような形であれ、残して 行くべきなのではないだろうか。そういう意味で活版印刷が行えると言うこ との意義はこれから探って行かなくてはならないと思う。
つくづく横道好きだなと、思いながら、レイアウト作業「植字」のあとは活 版印刷機による印刷が行われ、完成の運びとなる。この間の作業時間は待ち 時間などもあったが、約3時間ほどだった。たぶん、助けなしにはこの時間 では仕上がらないと思うが、貴重な体験の第一歩を踏むことが出来た。
工房にある活版機はエンブレムから、ドイツ製、1960年代以降の製造のもの のようだ。いったん動き出すと、カムとシリンダーが輪転機を力強く回りだ し、油圧の力で、まるで、両腕のように左右に振るアームは印刷する紙一枚 一枚を送り出す。不器用に手旗を(知ってますか?みなさん)降るような振る 舞いは最近の機械があまり機械らしくないのに比べ、まるで、the art of n oise、あるいは映画「メトロポリス」を彷彿とさせる主張する機械であった 。久しぶりに機械らしい機械に出会うことができた。まだまだ元気に現役の ようだ。
活版印刷を体験してみて、思ったことが、この行程が、意外にも、ソフトウ エア的な構造を持っていること。DTPがページごとのデータを最小単位で印 刷していくのに対して、活版の最小単位は活字。ひとつの文字である。この 活字は再利用が可能で、組み直すことも経験さえあれば、非常にロジカルで 、差し替え(cut&paste)や引用(copy&paste)も、軽々とこなすことが出来る 。なによりも、活字を拾うという行為自体が、モニターに向かって、操作を するのに比べて,何ともいえない心が落ち着く感じがする。その時間が、、 次への作業のよい小休止となる。なにか、こういう、人間的なことを考えて 仕組まれた行程のようにも思える。まー、しかし、「単純作業なんだから、 活字拾うのなんて、退屈でいらいらする。」とおっしゃる人もいるだろう。 しかし、DTPとて、また、その単純作業を強要するのである。だから、個人 的に言うならば、それよりましなシステムなのではといいたいのである。ま だ、ちょっとしかやってないから、はっきりわからないけど、半日くらい活 字拾っているのって、結構気持ちいいかも?とも思うのだが、これも、時間 的に追われることがない、非仕事であるせいなのかもしれない。でも、今回 以上に活字拾いを長くやってみたいという気持ちはとても強い。そういった 機会があるのを望むばかりだ。たぶん、入り込んでいくと、たのしいような、 そんな、予感がする。
とってつけたように最後に音楽を絡めて、活版印刷をみていくことにしよう 。先に言ったように、その特徴はより、データー主義というか、ソフトウエ
ア的という側面と、現場主義的、経験論的という、異なった側面を持ってい る。これは期せずして、プログラマーではない私が、MAXでパッチを作るこ
とそのものに酷似している。オブジェクトという最小単位をロジカルにつな げていくように見えて、その実、切った張ったの現物あわせ。きっと、プロ
グラマーはこんなパッチ作らないのだろうなというくらいきっと、美しくな い。だから、活版印刷もしっくりくるのかもしれない。でも、もしかして、
MAXて、活版印刷的?
せんだいメディアテークのHP: http://www.smt.city.sendai.jp/
Posted by com4jai at 2004年03月28日 23:37