2004年03月28日

CAP House 「みどりの日」、「まぼろしのUSISフィルム 過 去が見た未来芸術」 (14号 22.5.01)

さて、前回に引き続き 、ゴールデンウイークの神戸でのイベントにつ いてのお話です。CAP Houseで行われた「みどりの日」というイベント については前回説明しましたが、私は実は2日間参加しました。2日目 には、ライブ「珈琲と音楽」にも参加したのですが、4日の日はとても 天気が良く、前日ほどに人出がなく、ちょっと寂しいスタートとなり ました。しかし、考えてみれば、バンドですら、活動の場がせばまっ てきている現在で、実験的な、(私の場合は未成熟な、かな?)あま りマジョリティを得ることができないような音楽をやっている私にと ってはなによりも大切な機会だと思っています。なによりも、音を出 していて心地よいというのは遠くへいってでもやりたい理由としては 弱いのでしょうか。(そんなことないですよね、きっと)

と、そろそろ、ライブの状況を話さなくては。今回、私を含めて2個人 、1グループが参加して、CAP Houseのカフェを彩りました。演奏順に 私、速水さん、山本さんと飯島さんのグループです。わたしはと、い いますと、日記に書いたようにパワーブックから出される電磁波を携 帯ラジオでひろった音をマイクでMAXにとおして、演奏をしましたが、 速水さんもまた、iBookにMAXというシンプルなセッティングで、ライ ブに望みました。パッチを詳しくみたわけではないので、概略しかわ かりませんが、たぶん、ライブ用の素材をやいたCD-Rを入れ替えなが ら、ループを中心にして、操作していたと思われます。ループといっ ても、具体的な、楽器の演奏がループされるわけではなく、あくまで も、テクスチャーの一部として使用されていました。あくまでも、間 を大切にした、時折、見え隠れするカットアップされたアコースティ ックな響きが、午後の少々まったりとした時間をゆるりと過ごすさわ やかさ(自分で書いておいて、意味不明)を、醸し出していました。

さて、出演者にもかかわらず、途中で帰ってしまったため、最後まで、 聞くことのできなかったWhite Blossomですが、鍵盤楽器としてのシン セを演奏する飯島さんと、その演奏にエーテルを注入する役割の、つ まり、トリートメント役の山本さんが、きっと、ライブも、結構やっ ているのだなと、思わせるコンビネーションで、ゆったりとした空間 を作り出していました。やっぱり、完成度の高い世界が構築された演 奏ということなのでしょう。演奏者の優しさとかが、とても伝わるよ いパフォーマンスでした。

ちまたでいわれる「癒し系」音楽というのはこういった作者 の感性を全く考慮もしないで、ただ、適当なイメージで言っているの で、そんな言い方、はやくやめてほしいものです。White Blossomの音 楽も、その優しさゆえに、そんな風に言われるのなら、とても残念で す。それにしても、「癒し系」て言葉は便利で、いい加減なものの言 い方だな、ホント。

というわけで、ごたごたと、移動しまくりだった3日間でしたが、すご く、刺激をうけ、もう少しがんばらにゃと思うのでした。それではま た次回。

cap houseのHP: http://www.cap-kobe.com/


5月18日 18:30〜20:30 せんだいメディアテークにて。
17日、18日の2日にわたって上映された「まぼろしのUSISフィルム 過 去が見た未来芸術」という上映会を観た。18日に上映されたのは「21世 紀明日の芸術」(28分 1971年制作)、アメリカの音楽ジャズポップス 」(54分 1969年制作)、「題名のない音楽会」(29分 1968年制作) の3本。

●USISフィルムとは

戦後、GHQ占領下の日本で文化振興策の一環として(と言うよりはプロ パガンダ的な要素が多くあるようだが)Natco映写機、CIE(Civil Inform ation and Education section、民間情報局)フィルムの貸与が全国の地 方自治体に行われた。このUSISフィルムとは1952年にCIEフィルム等の貸 与の集結とともに日米文化の交流という新しい目的のもと、貸与の継続 が行われ、これらのフィルムをUSIS(united state information service )と呼んだ。今回上映されたのは仙台市教育委員会に移管され、保存され ていたフィルムである。141本が収蔵されていることから、これから、残 りのそれらも、日の目を見ることであろう。

●「21世紀明日の芸術」

当時の最先端の芸術を紹介することにより未来の芸術を想像するという もの。科学技術を取り入れた当時の先端アートをいくつも紹介し、芸術 が科学技術によって大量生産、産業化へとなっていくと、大胆に予想。 いささか、的外れながら、当時のムーブメントらしきもんが伝わってく る映像と、なんといっても、オシレーターまんまの電子音楽のBGMがまさ に、今で言うレトロパースペクティヴ・フューチャー。コンピューター もすでに登場して、CGの先祖みたいなこともやっているが、どちらかと いうと、マッド・サイエンティスト風で、怪しさ百倍。おもしろいのは ナレーターが「無意味な・・・」を連発していたこと。そりゃー、オブ ジェは「無意味な構造物」でしょうけど。

●「アメリカの音楽ジャズポップス」

アメリカ音楽の当時の状況と、そのルーツへさかのぼるロードムービー。 しかし、この当時、一番エッジなジョン・コルトレーンやマイルス・デ イビスなどはでてこないで、いささか、保守的なチョイス。

●「題名のない音楽会」

なんと言っても今回一番興味があったのがこの作品だ。このフィルムは 東京アメリカ文化センターで行われた「ベクサシオン」というエリック サティの作品の本邦初演奏の模様を記録した映画だ。とはいっても、題 名通り、同名テレビ番組そのもので、黛俊郎がナビゲーター。

ところで、この「ベクサシオン」というサティの作品ですが、1分ほどの テーマを840回繰り返すという作品なのだが、演奏時間は15時間から、20 時間はかかるという、ほとんど冗談のような曲なのですが、中でも、有 名なのはジョン・ケージらが1963年にNYで行った世界初演奏なのだが、 どうも、この演奏会は世界で3度目になるということだ。この収録は大晦 日に行われ、新年を迎える間で続けられた。ということで、黛俊郎曰く 「大愚民歌番組」とやらに対抗して「視聴率0パーセント番組」と題して ただひたすらに単調なメロディが複数のピアニストによって、かわるがわ る演奏されていく。そのうち、時間的な感覚が麻痺してくる。演奏者はひ とりあたり1時間前後の演奏をするのだが、「何回演奏したかわからなく なってくる」とはなす演奏者もいた。また、「あまりの繰り返しの多さに 少しずつニュアンスを変えたところで繰り返しの中で埋もれてしまう。故 に機械のように変化なくひき続けるしかない。」とも話していた。

人間的な表現を極力なくし、余分な表現を削り落とすと言うことは「ミニ マリズム」の本質であるのだが、それにしても、作品が、ひとにそれを強 く強いるというのは驚くと言うより、嫌気がしてくるくらいだ。まー、こ れもエリックサティのシニカルな面なのでしょうが。

当日、聴視者は100人くらいいたのだが、なかには「リラクゼイション」 感じたと話す人もいた。(日本人ではありませんでしたが)

だが、演奏を最初から、最後まで聴いていた人は皆無であった。まさに「 ベサクシヨン」、不愉快さは蔓延していたわけだ。年が明けても、まだ演 奏は続けられ、紙にhappy new yearとかいて、知らせるあたり、まじめな のか、嫌みなのか、わからないままに演奏はまだ続き、黛俊郎すらもうと うとしてしまう。

現代曲はむずかしいと、感じさせるより、なにか、楽しそうと感じたのは 私だけだろうか。一見唐突のようだが、「無意味な」と冠がつく行為や作 品をあくまでも、きまじめに続ける(眉間しわ寄せモード)というだけでな く、一種ばからしさ、冗談を含んでいるのも事実であり、それも、楽しん でこそ、味わいがでるのではないだろうか。でなくては、退屈きわまりな い。たまには、そんなスタンスで接してみるのもおもしろいなと思えた映 画でした。

せんだいメディアテークのHP: http://www.smt.city.sendai.jp/

Posted by com4jai at 2004年03月28日 23:26
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