わたしが生活の大半を過している場所=台所で、 たれ流されている音と映像をよそさまの前にても、たれ流さんと欲す。
1月14日に大阪、千林にある大阪市芸術創造館というところで行われた Women's Performance Art Osaka Iを見てきました。このイヴェント、3 日間行われたのですが、その最終日にMAXerとしてもご存じのYuko Nexus6 が出演するというので、オリンピック誘致の旗たなびく通りを通ってチェ ックしました。
今回のパフォーマンス、イヴェント名でわかるように、音楽系のイヴェント ではありません。ですから、あらゆる見方ができるのだと思います。(とい うか、感じ方かな?) で、まずは、Maxな見方で行ってみたいと思います。 今回使われていただろうと思われるMaxの役割を書き出してみると、
といったところであろうか。前者はキーに割り当てたファイルを再生してい るのだとわかるが、後者は少し複雑。パフォーマンスの音に反応して、突然 ループが止まったり、いきなり、ループがたくさん流れたり。でも、パワー ブックの近くにプレイントークのマイクが置いてあったので、それで制御し ていると思われる。meter~をつかえば、ゲインの値が得られるので、そうい った仕掛けがあるのだと思うが、結局のところ、本人に聞かないと解りませ ん、だから、おしえてください、なんてねー。(むしのいいやつ)
遠くから、かすかな音、それは何だかわからない。 かすかな音に、はっきりしたキッチンタイマーのセットの音がする。 そのかすかな音は手に持たれた缶の中からきこえる。 缶をあけると、 そのかすかな音はさっきよりは明瞭にかすかな音であることが認識できた。 そしてそれを遮るようにパリパリとせんべいを食べる音、 テレビの通販番組の音。 それはいつの間にか、崩れたループとなる。 テレビ体操の音、かすかな音よりエッジのたった、明瞭だが、どこか、安っ ぽい。ピアノ伴奏のほうがどこか、ぜいたくにきこえる。 オートミルの音、それは、どちらかというと、機械音、オートバイのエンジ ンのような。 かすかな音は携帯テープレコーダーから出ている。 そして、振り回されたそれはフラッターを起こしステレオ感を広げてくれる。 ケトルの音、そして、時を知らせるキッチンタイマーの音が、会場中を飽和 させる。
割烹着姿でコンビニの袋?をもって登場。早速、その袋を広げて、さまざまな ものが姿を見せた。ステージには机があり、そこにはパワーブックと電熱器の 上にのっているケトル、オートミル。背後にはスクリーンがある。 なにやら会場の床にセットしている。自分の近くにも、セットされた、それは キッチンタイマーに改造を加えられたものだった。机に向かいパワーブックを 起動。スクリーンに何やら向けると、スクリーンは深夜に流れている通販番組 が映し出される。すわったまませんべいを食べたり、パワーブックを使ったり する。そのうち、みんなの体操をいきなり始める。そして、ステージを所狭し と動き回る。また、オートミルと格闘。ゴウンゴウンと、格闘。果ては金魚体 操!(知ってる私も、かなり通販番組通なのだろうか?)パフォーマンスとい うだけあって、動く。ケトルがなりキッチンタイマーがいっせいに鳴りだし終 わる。つまりこれは日常、毎日繰り広げられているだろう自宅での行為の再現 なのであろうか?家事をしつつ、マックを使い、きっと、夜更かし。こんなな にげない日常も、どこか、コミカルで、なおかつ、どこか、ポイズンな、すこ しこわれているパフォーマンスにしている。と、ちょっとまて、自分の日常を 考えるに、それらの要素は入っているではないか。もしや、日常そのもの?
いつも思うのであるが、Yuko Nexus6のパフォーマンスはエキセントリックな のにお茶の間感覚、ヒステリックなのにナイーブ、少し壊れているのに懐古的 といった、ごちゃまぜで整理されていないように思えるのに、実のところとて も整然としている。これはもしかしたら、日常と、創作というものが、乖離せ ずに密着した形で、行われているからではないのだろうかと思った。今回の日 常のそれぞれの行為を取り上げても、それ自体にはさして意味を持たせたもの にはない。だいたい日常に意味づけなどない。今回、パフォーマンス終了後に トークの時間が設けられ、そこで今回のパフォーマンスについて語ったことば がすべてを物語っているように思えてならない。